首都「ビシュケク」
ビシュケク市はキルギス共和国の首都です。
北緯43度に位置し、札幌市と同じ緯度にあります。ビシュケク市の南には標高4000m級のアラ・トー山脈が控えており、ビシュケク市も標高750-900mにあります。市の東北部には標高1000m の山脈があり、カザフスタンとの国境を形成しています。
「暑い中央アジア」「冷涼な山岳地帯」「寒暖の差の激しい盆地」という三つの要素が組 み合わさった気候となっています。
街の歴史としては遺跡と言ったものはなく、ソ連時代の都市計画で作られた典型的な街です。科学アカデミー、フィルハーモニーコンサートホール、大統領府等が続き、国立博物館も見所の一つとなっています。
博物館の北西にキルギスドラマ劇場も人気のスポットとなっており、チュイ大通りは市民の生活の中心として活気ある風景が広がります。
ビシュケクの近郊の「アラ・アルチャ自然公園」などに足をのばしてみるのもお勧めです。
イシク・クル湖/チョルポン・アタ
首都ビシュケクから東へ180kmのところにあるイシク・クル湖。
周囲約 760km、面積約 6,200 km2、最大水深約 670m、標高約 1,600m、透明度は 20mを超え、琵琶湖の約9倍の大きさの山岳湖です。
塩分を含み、名前はキルギス語のイシク(熱い)・クル(湖)から由来し、マイナス20°Cを超えるキルギスの厳しい冬でも凍りません。
別名「中央アジアの真珠」「キルギスの海」とも言われています。遠い昔、玄奨三蔵の記した書物「大唐西域記」にも「熱海」と 記されていました。
ソ連時代、外国人の立ち入りが禁止されており、幻の湖でもありました。湖底には集落跡の遺跡が沈んでいて、昔から多くの伝説があります。
カラコル
旧名プルジェバリスク。イシク・クル州の州都。
1869年、帝政ロシア軍の砦が築かれて以降、帝国各地からの移民が入植し、地域最大の都市へと発展して来ました。
中心部にある協会や至聖三者聖堂やロシア風の町並みはそうした歴史を象徴。1910年建立のイブラヒム・アジュ記念中央モスクもまた、清朝の弾圧を逃れたドゥンガン人移民の手によるものです。
街の中心はクムテョルでパートの周辺で、北東から南西に延びるトクトグル通りがもっとも活気があります。
トクマク近郊
ビシュケクから東へ60km行ったあたりのトクマクの周辺はかつての天山北路のルート上にあり、ソグド人の植民商業都市の遺跡が残っています。
そのなかでもトクマクから南へ10kmの「バラサグン遺跡とブラーナのミナレット」がお勧めです。
残念ながら現在はブラーナと呼ばれるミナレットとそのそばの霊廟の土台のみですが、遺跡のそばには国内各地から集められた石人バルバルと動物の像がならんでいます。
「アク・ベシム遺跡」はトクマクから南西へ7km。6世紀にソグド人によって建設されました。玄奘三蔵は、イシククル湖を通って破葉城と呼ばれたこのアク・ベシムに立ち寄ったと言われています。
オシュ
オシュまたはオシはキルギス第二の都市で、「南の首都」と呼ばれています。
街の起源は3000年以上前で、宗教や言語も時代の流れによって様々に変化を遂げてきました。
町の中心はユネスコ文化遺産に登録されている「スライマン・トー聖山」はその一部は文化史博物館や大シルクロード博物館となっています。
町は山を境に北が17世紀〜20世紀にかけて建てられたモスクやバザールがある旧市街、南が帝政ロシア時代の新市街とわけられます。
近郊の町オズギョンには「オズギョン歴史建築群(ミナレット)」があります。
ソンクル湖
海抜3,016mの高さにあり世界屈指の高地に位置し、イシク・クル湖に次いでキルギスで二番目の大きさを誇ります。
周りは豊かな牧草地で、夏の間は遊牧民がボズ・ユイ(移動式住居)を張って生活し、羊や馬を放牧しています。自然豊かな風景と、遊牧時代以来の伝統や習慣を垣間みることができ、ゆっくりとした時間を過ごすことができます。
湖畔には6月初旬からエーデルワイスなどの高山植物の花々が咲き誇ります。
なお、湖への公共交通機関はありません。
チョンケミン
首都、ビシュケクとイシク・クル湖との間に位置するチョンケミン。
そこは四方を山に囲まれ、とてものどかな村です。
キルギスのスイスとも呼ばれる景勝地にてフラワーウォッチングや散策などをお楽しみいただけます。
タシュ・ラバット
石造りの小さな建物が並ぶ町。シルクロード貿易の際、中継地点の宿泊地とされていました。
建物の中には寝室、キッチン、ホール、馬小屋等多数の部屋があり、当時のキャラバンの生活を感じることができます。