2001年、ユネスコ世界文化遺産に登録され、「青の都サマルカンド」と呼ばれるシルクロードの中心的な都市として栄えてきたウズベキスタンの歴史的な古都です。
タシケントから列車(アフラシヤブ号)で約2時間、車では約4時間です。旧市街、新市街、アフラシャブの丘に分けられ、旧市街にはタジク人が多く住んでいます。
紀元前4世紀から注目されて、サマルカンドという名前になる前はマラカンダという街でした。ウズベキスタンの英雄アミール・ティムールによって、荘厳で美しく、中心的都市のサマルカンドに繁栄しました。
600年前から変わらない迫力あるサマルカンドをゆっくりとご覧下さい。
サマルカンドの観光スポット
レギスタン広場
3つのメドレセを持つ大切な広場
レギスタンは砂地という意味を持ちます。レギスタン広場はサマルカンドの他に「ブハラ」「ヒヴァ」にもありますが、14世紀に造られたサマルカンドのレギスタン広場が一番新しい広場です。
広場向かって左にウルグベク・メドレセ、中央はティラカリ・メドレセ、右にシェルドル・メドレセが並んでいます。
ティムール時代には大きな屋根のバザールが建てられ、孫のウルグベク時代にはキャラバンサライ(隊商宿)建てられたりと、各時代によって変貌を遂げて来ました。
ソ連時代には修復が行われ、昔も今も変わらず公共の広場として重要な役割を持っています。
グーリ・アミール廟
「支配者の墓」という意味を持つ霊廟
1404年に完成したティムールとティムールの家族、教師、聖人が眠っている霊廟です。タジク語で「支配者の墓」という意味を持ち、元々は戦死したティムールの孫ムハンマド・スルタンの為に造られました。
そしてここにはティムール自身も眠っています。生前ティムールは生地のシャフリサーブスへの埋葬を望んで自分用の墓を作りましたが、真冬に亡くなった為雪に覆われた シャフリサーブスには埋蔵出来ず、ここに納められたと言われています。
一度ブハラ・ハーンに破壊されましたが、現在天井は金箔に修復されています。
左にウルグベク、右にティムールの教師ベルケ、ティムールの墓石の真後ろに息子のシャールフ(ウルグベクの父)が眠っ ています。しかし本当の墓石は地下にあり、そこには亡骸の墓室が地上の墓石と同じ順序で葬られています。
ビビハニム・モスク
かつてイスラム世界最大を誇ったモスク
ティムール時代、一度に13000人が礼拝することが出来た中央アジア最大のモスク。
ティムールの命令で1399年から1404年にかけて建てられました。しかし完成したのはティムールの死後3年目、ティムール本人は完成を見ることが出来ませんでした。
そして、地震によってほとんどが崩れてしまい、北西側ミナレットの土台部分のみが残りました。中庭にある大理石のコーラン(イスラム教の聖典)置きは15世紀にウルグベクによって造られました。
現在もモスクは残されています。2004年に修復工事も終了しましたが、崩れかけています。
シヨブ・バザール
広くて大きなバザール
ビビハニム・モスクの隣にある大きなバザール。
サマルカンドはナンがとても有名。分厚いナンがサマルカンドのナンの特徴です。サマルカンドの人々の生活が垣間見られます。
バザールの敷地は非常に広く、サマルカンドの人々の生活拠点の一つとも言えます。果物や肉、チーズなど食料品、家庭用品、雑貨などと売られているもに応じて売店の場所が分けられています 。
バザールでは値切り交渉必至です。東方文化圏のバザールの特徴でもあります。
シャーヒ・ズィンダ廟群
サマルカンドの美しい霊廟群
アフラシャブの丘の一角にあるティムールゆかりの人々の霊廟群。今はウズベキスタンの人々の巡礼場所になっています。入口の階段を上ると、霊廟はほぼ一直線に建ち並んでいて、奥の左側には庶民の墓地があります。
初めてサマルカンドにイスラム教を伝えた預言者ムハンマドの従兄弟クサムは、677年に異教徒に襲われて首を切られてし まいました。しかし、クサムは動じることなく礼拝を終えて自分の首を持って井戸へ持って行きました。彼はここで決して死ぬことなく永遠に生き続けているという永遠の命を得たと言われています。
彼の墓は11世紀にシャーヒズィンダ(生ける王)と呼ばれるようになり、この建築群の中では最も古い建物として残っています。
ウルグベク天文台跡
驚異的に正確な太陽暦
ティムールの孫で天文学者でもあったウルグベクは、現在の太陽暦を正確に計り出しました。
彼は1年の長さを365日6時間10分8秒と、誤差は1分もなく計測しました。未来を予報、予知することはイスラムでは失礼な事だと言われウルグベクの敵が多くなりました。
ウルグベクが亡くなった後、天文台を破壊し、天文台の道を土で埋めて峠の丘になっていましたが、1908年ロシア人のヴィヤッキンにより発見されました。
現在は6分儀の基礎部分のみが残っています。
アフラシヤブの丘
かつてのサマルカンドの痕跡
シャブ・バザールとウルグベク天文台跡の中間辺り、ハズラット・ヒルズモスク近くにある丘、遺跡。
かつてはこの丘には街があり、丘の16m地下から紀元前7世紀の壁画が発見されました。この壁画は領主の宮殿から発見されたフレスコの壁画です。壁画にはソグド人の絵と拝火教の絵が描かれています。
当時は宗教なども関係なく色々な民族が集まり、平和に住んでいたとされています。
近くのアフラシヤブ博物館の中には、発見された壁画やアフラシヤブの古代住居地から出土されたもの、拝火教の祭壇や偶像などが展示されています。
サマルカンド:マップ
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